きらきらしたものを集めたい。

主にジャニーズ、たまにアイドル。/絶賛事務所担進行形 → 主にK-POP、たまにジャニーズ、たまーーにアイドルへ移行→主にLDH、そこそこK-POP、たまにジャニーズ、ちょっと坂道に移行したみたい。。

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチのライブを見てきた。

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」の映画が日本に上陸したとき、学生だった。周囲の友人もかなりハマっていた。ぼんやりとした内容だけ把握して、映画を見ることなく、丸山隆平さんがヘドウィグを演じる舞台として初めて作品に触れることになった。映画をちゃんと見てから行くことで真に楽しめるもの、かもしれないけど、映画を見ていなくても、しっかり楽しめるエンターテイメント作品だった。

 

ネタバレとか、先入観を入れて見に行きたくない人は読まないでほしい。

 

私はとにかく「どうしてイツハクを女性が演じているのか」が分からなかった。どうして、さとうほなみさんだったのかが分からなかった。とてもとても迫力のある歌声だったし、丸ちゃんとのハーモニーもよかった。彼女がキャスティングされて、演出の結果の演技だから、それで今回の舞台の正解なんだろうけれども、男性であるようには感じられなかった。ドラァグクイーンとしてのアイデンティティを取り上げられた男性、には感じられなかった。最後のシーンの前から、ただ美しい「男装した女性」だった。

過去の映画や舞台でも多くの場合で女性が演じてきた役でもあるらしい、というのは見終わってから調べて知った。男性か女性か明言されていない役、ドラァグクイーンというよりも性自認が女性、という説も読んだが、どうしてイツハクを女性が演じてきたのかは分からなかった。

今回の演出だけでなく過去もそうなのかもしれないけれど、イツハクとしてだけでなく、母やファンの女の子を演じる場面がある。その場面を担うために女性キャストになっているのか?と感じてしまった。それならば、さとうほなみとしてではなく、ほないこかとしてバンドでドラムを叩きながら母を演じるパートを担えばいいのでは?と思ってしまった。そしてイツハクがヘドウィグの世話をする場面が多い。ヘドウィグの世話だけでなく、ステージ上のマイクなどの消毒も演技の中の一貫として行っている。ステージで甲斐甲斐しく世話をする女性がほしかったのか?と見えてしまった。元ドラァグクイーンの男性であるとしたら、どうして甲斐甲斐しく世話をするおじさんではいけないのか、という気持ちになってしまった。

ヘドウィグから女装(ドラァグクイーン)というアイデンティティを返還されて最後に出てくるときにヘドウィグよりもよっぽど美しい(だから女装を奪った)、というシーンのために女性が選ばれてきたんだろうか。選べばヘドウィグよりもよっぽど美しい女装に仕上がる男性も沢山いると思うが…

イツハクは女性でありながらドラァグクイーンをしていて、そのアイデンティティを取り上げられ男性となることを強いられた、というのが正解なんだろうか。パンフレットを買いそびれてしまったので、ここが1番気になってしまった。

 

舞台の構成としては、ヘドウィグ・アンド・アングリーインチのワンマンライブ。ヘドウィグの独演会。自分を捨て売れっ子になったが人気が陰り、ヘドウィグと再会し事故に遭い、その結果一躍時の人となったトミーのスタジアムライブの横の小さなハコで人生を歌い、人生を語る。とても濃厚な人生と感情をぎゅっと詰め込んだ濃厚なライブ。本当にひたすら喋り、ひたすら歌う。演技中ではちみつを数回摂取するのも納得する*1。最後にはウィッグを外し、メイクを落とし、裸になり、ありのままのハンセルとして歌い、ステージを去る。

本当に丸山隆平さんに合う役だったと思う。本当に美しくて人間くさくて、儚くてたくましい。

丸山隆平という人の演技も錦戸さんと近くて、ちゃんと向き合って消化して演じている印象が強い。元々関ジャニ∞丸山隆平というキャラクターも彼の中の演じている役柄のひとつな気もするけど、演じることで普段できないことが出来ることに対しての喜びが見える。「何者でもない自分」に対してのコンプレックスというか不安というかが大きいのかもなーっていう印象でもあるんだけど。表舞台に立っていないときっと壊れてしまう人に見えるから絶えず演技の仕事があるといいなと思う。演じることでこんなこともできるあんなこともできるという自信が、丸山隆平自身の自信につながっていると思う。個人的には丸ちゃんの演技がとても好きです。演技しているときの丸山隆平が好き、というか。

これは随分昔に書いた、関ジャニ∞メンバーそれぞれの演技に対しての感想。*2丸山隆平さんに対しての印象はこの時と変わっていない。舞台での演技を見るのは初めてだったけど、とても良かった。ドラァグクイーンの衣装を身に纏いヘドウィグを演じることは、ステージ衣装を着て関ジャニ∞の丸ちゃんを演じることともそう遠い感覚ではないと思う。ただの丸山隆平ではなく、関ジャニ∞丸山隆平としてステージに立っている。ヘドウィグのように人生を語ることはないにしても、ライブの気持ちよさは知っている。準備は本当に大変だったと思うけれども、ツアーと地続きだったからこそ、ライブで得られる反応の感覚をそのまま残して演じられているかもしれない。舞台では観客は大したリアクションが出来ないので、昨年中とかライブでの生のリアクションと乖離した状態でヘドウィグの舞台が行われていたとしたら、それはそれでかなりしんどかったと思う。

それにしても全曲英語詞、頭のなかに入れていくのは本当に大変だ。ただ歌うというだけではなく、そこにヘドウィグの人生を乗せなきゃいけない。ちゃんと人生がのっていたと思う。とてもヘドウィグとしてステージにいた。

ライブを前提に進んでいくから、観客が座席に座ってただ見ているのは、ステージとの温度差が少しもどかしい。ご時世的なこともあるにしても、楽曲中はスタンディングで思い思いに体を揺らしてくれという形にできたらよかったのにな、と思ってしまった。毎公演でなくても、何割かの公演については応援公演みたいな形でスタンディングOK、ペンライトOKとかにしたらきっと楽しい。今更そんな公演を追加することも難しいとは思うけれど、追加公演として数公演やれたらいいけどなぁ、とムズムズしながら帰路に着いた。

 

イツハクのことについてのモヤっとしたものが大きく残ってしまってはいるんだけど、丸ちゃんのヘドウィグを見れたことは本当に嬉しい。ヘドウィグを自分体に取り込んだ後の丸山隆平さんがまた楽しみだなと思う。

*1:元々そういうシーンがあるのだろうか

*2:随分失礼なこと書いてる https://pinkslip-idol.hatenablog.com/entry/2015/06/09/015236