きらきらしたものを集めたい。

主にジャニーズ、たまにアイドル。/絶賛事務所担進行形 → 主にK-POP、たまにジャニーズ、たまーーにアイドルへ移行→主にLDH、そこそこK-POP、たまにジャニーズ、ちょっと坂道に移行したみたい。。

その舞台で繰り広げられるのはまさに「夜への長い旅路」。

「夜への長い旅路」を見てきた。

3時間30分*1の濃密な会話劇。ある家族の1日を朝から夜になるまで、家のリビングだけを切り取った舞台。舞台上には少量の家具と照明と心模様にあわせて漂う霧だけ。

 

ヤク中とアル中の家族の話、というくらいの情報しか入れずに見に行った。休憩中に一緒に行った友達がWikipediaを見て「作者の自伝的な作品みたいです」と教えてくれた。観劇後にパンフレットを読んで、やっと多くのことが補完できた。

この戯曲の作者、ユージン・オニール結核の診断を受け絶望した1日を切り取った作品であり、その後の家族の人生は短く末路は悲惨なものであったこと、彼自身は療養生活を始めてから戯曲作家として成功し65歳で人生を終えたこと。

結核という診断により、家族の誰よりも早く死を間近に感じたものの、家族の誰よりも長く生き、生前から作品が評価され誰よりも地位を得て家族をも得たことは救いだと思った。けれども、その家族の誰よりも長く生き誰よりも評価された事実が、彼にとっては苦しみとなっていき、最後に家族の誰もがユージンの死を意識したこの日をこの戯曲を残したのかもしれない。ある意味ではこの日から始まった長い旅路。

死後25年は刊行するな、戯曲として上演はするなと遺志を残したが、妻によって死後すぐに刊行され、3年後にはブロードウェイで上演されピューリッツァー賞を受賞し、彼の死から68年後の今、日本で上演されている。それを観劇して、感想をしたためている、その現実を考えるとまた何とも言えない。

 

今回の演出も、書かれた戯曲に対して忠実な演出なんだろうと思う。音楽もほとんど入ることがなく、ひたすら会話で進んでいく。そのやりとりは軽妙とは言い難く、上っ面のやり取りから、どんどんと互いの愛情と嫉妬と疑念と依存と後悔と期待と絶望をぶつけ合うようになっていく。あまりにもストレートな舞台だった。正直見る人を選ぶ骨太さだと思う。

家族のなかにある愛情と嫉妬と疑念と依存と後悔と期待と絶望の感情。全員が何かに依存することで現実の苦しみや不安を麻痺させている。感じたことある人間にとっては、非常にリアリティーのある風景で、感じたことのない人間にとっては、全く理解できるものではなく、単調で苦痛に感じる風景だろう。

私はやや前者なので、冒頭から苛立ちをジョークで繕う母親の姿や、腹に溜めてきた言葉で相手を刺してはすぐにそうじゃないと謝るコミュニケーションに、ないはずの古傷が痛む感覚を感じながら見ていた。本来は母と見に行く予定だったので、母とこれを見ていたらどうにも難しい気持ちになっただろうなと苦笑いした。

 

今回はとにかく大竹しのぶという俳優の演技が楽しみだった。でも、一言めの台詞の声色やその発声は期待していたようなものではなく、フワッとした演技のフワッとした発声で「思った感じではないのか」と思って見ていくと、それは家族の前で明るく繕う母親の上ずったそれであると分かる。苛立ちや絶望がいったりきたりする表現。モルヒネを打った後の穏やかさ、そして最後のシーン、やっぱり凄かった。まさに凄みがある、という感覚。多分家族全員が役者としても彼女に対して怖さを素直に感じていればいいから、最後のシーンは楽かもしれない。

一家の長である父親を演じる池田さんの立ち回りは、かつて一発当てたことのある舞台俳優という役柄のため多くの場面では芝居がかった立ち回りだが、素を見せる時には一気にみすぼらしく見える。

大倉さんは父の後を継ぐように舞台に立ちながらも父のように評価や大金を得られるわけでもなく、虚無感と嫉妬が主な感情で、酒と女だけが彼を饒舌にさせる長男のジェイミー。大倉さん自身が長男であり、家族への感情が理解しやすい立場だと思うし、酒と女が彼を饒舌にさせるのも理解しやすいだろう。己の矛盾する心をひたすらに弟にぶつけるところ、すごくよかった。

舞台初挑戦の杉野遥亮くんが演じる役が作者のユージン・オニール自身を投影したエドマンドという役。*2結核を患い、自身の死*3を目の前にした家族の狼狽に絶望し続ける場面が多い。作者自身でありあの日の主役でもあるエドマンドだから、台詞も立ち回りも多い。初めてであの台詞量、あの立ち回りをしていると思うと本当に信じられない。インタビューを読んでみるとすごく飄々としていて、恐れがない。無駄な恐れによる固さがないからこそ、容量の限界まで吸い込める人に見えた。このままどんな環境にも恐れなく飛び込んでいってほしい。

家族4人以外に舞台に立つ唯一の部外者が使用人のキャスリーン。誰に対しても素直で素面*4でいられる唯一の存在。この人が4人に飲まれたら作品が成り立たないので出番の量は多くなくともすごく大事な役。あの家族に飲まれないこと、簡単ではない。

 

これは家族が絶望を共有した日の話。だけど、この絶望の日と人生の終わりは誰も直結していない。この絶望の先に長かれ短かれ人生が待っている。それを希望であると捉えるか、長い絶望と捉えるかは人それぞれ。ただ、その舞台にあるのは絶望の1日。面白かった。

*1:1幕1時間20分、2幕1時間50分、休憩20分

*2:作中では若くして亡くなった兄と自身の名前を入れ替えている

*3:当時は多くの場合死に至る病だった

*4:酒は飲むが中毒ではない