きらきらしたものを集めたい。

主にジャニーズ、たまにアイドル。/絶賛事務所担進行形 → 主にK-POP、たまにジャニーズ、たまーーにアイドルへ移行→主にLDH、そこそこK-POP、たまにジャニーズ、ちょっと坂道に移行したみたい。。

舞台「ホームレッスン」で描かれた家族の話。

紀伊国屋ホールで上演された「ホームレッスン」という舞台。堀夏喜さんが初めてストレートプレイに出演するということで見に行った舞台だけど、とても面白かったので感想を残しておきたい。

もうアーカイブ配信も終わってしまったのでざっくりとストーリーを書き連ねてしまうけど許してほしい。

主人公は母の育児放棄により施設で育ち、中学校教師となった青年、伊藤大夢。妊娠が分かり結婚を決めた彼女、三上花蓮の家庭に招かれた*1ところから始まる。訪れて初めて彼女の家には、母が作成した100項目の三上家の家訓があり、家訓の重要度に応じて点数が配分されている。毎月家訓を破るごとに点数が積み重ねられ、一定の点数になると懲罰を受けなくてはならない。「家族以外の者に家訓について話してはならない」という家訓から大夢にも家訓の存在を知らされていなかった。結婚を決めて初めて知る家訓に戸惑いながら馴染もうと努力する主人公。ある日、懲罰により物置部屋に半年以上監禁されている弟、朔太郎の存在を知る。

この導入から、主人公が監禁されている朔太郎を解放し、彼女の家庭を家訓から解放する物語のように予想されるが、そうは進まない。

元々中学校教師として働いていた花蓮の母は、ネグレクト家庭で暮らす生徒に「あなたのやりたいことをやり通しなさい」と母のように優しく寄り添ってあげた結果、その生徒は「先生の言う通りにしたよ」と同級生の首を切り落とし殺害した。その事件により母は心を病んだ。それにより、「自由は危険である」という思想となり、家訓を作ることで家族が守られると信じた。花蓮の父はそれが間違っていると思いながらも、妻の心を守るため、妻自身を守るため家訓を守った。

大夢はたまたまその花蓮の母の生徒であり、事件を起こした生徒の同級生だった。大夢自身にも大きな事件であったが、中学卒業時に担任の先生(花蓮の母)に言われた「幸せとは不幸せでないこと」「不幸せになりたくなければ社会に適合しなさい」という教えに忠実に、「社会適合のプロ」として生きてきた。

大夢は、花蓮の妊娠によって得られた新しい家庭という社会に適合することで不幸せにならないようにしようとした。何より、自分を導いてくれた、母のように慕いたかった先生の作った家訓を守ることで家族でいたかった。

結果、三上家の家庭の家訓を誰よりも忠実に守ろうとするようになる。花蓮が家訓を破り朔太郎を解放し、解放された朔太郎は自殺を図るが止めに入った母を刺す。身重の花蓮は朔太郎を解放したことによる冬場の懲罰の実行で身を危険に晒す。家訓を遵守しようとする大夢により、家族が危険に晒されることで、三上家の人たちは絆を取り戻し、母は家訓の撤廃を宣言する。ひとつになる三上家に対し、自らの意思で父を切りつけ最大の懲罰「勘当」を受けて去ろうとする大夢。

この終盤の展開に、あぁ家族を知る家族はひとつになり、家族を知らない人間はそこには居られない、残酷なストーリーだ、と思った。

しかし花蓮は「今度はあなたが子供を捨てるの!?」と大夢を呼び止め、大夢は花蓮の大きなお腹に手を当て泣き崩れ暗転。

再び明るくなった舞台に立つのは晴れやかな表情で教壇に立つ朔太郎。

生徒から家庭の問題を相談されることも多いけれど、答えなんてもっていないと話し出し、「何から話そうかな、昔うちには100個の家訓があって…」と笑いながらかつての自分の家の話をしているところで舞台は終わる。

 

極端な機能不全家庭に見えた三上家は元々健全な家庭だった。機能不全の状態になってそれぞれ苦しみながらも「家族を守ること」を選べる人達だった。朔太郎が母を刺した事は事故として処理し、懲罰中の花蓮の助けを呼ぶ声を聞いた近所の人が警察に通報して聴取を受けた際も「家の中のトラブルなので」と事を荒てしなかった。理由は「恥を晒したくない」ではなく「家族を守りたい」だった。

三上家が機能不全になったのは、外の人間である生徒によって母が傷つけられたからで、再び外から来た大夢によって家族が傷つけられた時、それぞれが絆を掴み直し支えあえるようになった。絆を知らずに育った大夢には掴めない絆だった。でも、三上家、少なくとも花蓮はその大夢にもこれから絆を作ろうと持ちかけることが出来る人だった。

とても優しい話だと思った。あまりに優しくてフィクションは残酷だなと思ったくらい優しい。

若い世代には、同級生の事件について、そんな残忍な設定…となる人がいるのかもしれない。ただ自分にとってはかつての神戸の事件が想起されて背中がひんやりとした。もちろん教室で生首を抱えて…というような状況ではないけれど、そのくらいの年齢で、同様の残忍なやり方で、もっと幼い子供の命を奪った事件があったのは現実。同世代なので忘れられない。あの事件の犯人、そして被害者の生活の周りにも人は沢山いた。それを考えるとまた難しい気持ちになる。もちろんネグレクト家庭と快楽殺人が直接的に繋がるわけではないのだけれど、因果関係は深いものとされている。*2「社会的に許されざる願望」については「多様性」を重んじられる時代になって、より家庭でも学校でも「教える」というのは難しいものになっているとは思う。

 

そんな優しくて重い物語の主人公を演じていたのが田中俊介さん。社会に適合するための張り付いた笑顔、場を盛り上げるためならいくらでも出てくる言葉、満たされなかった幼少期のままの母を求める表情、視野が狭まっていく姿、取り残される状況に追い込まれていく姿、伊藤大夢という役を独白シーンを含めて圧倒的な台詞量で演じきっていた。凄かった。アフタートークで素の田中俊介さんとして話している姿を見て初めて「あれは役」とやっと思えるくらい、伊藤大夢でしかなかった。台本をもらって稽古初日には膨大な台詞を全て、てにをはの言い回し含めて完全に入れてきたという話を聞いて白目を剥いた。しかも今回が初めての主役、もちろんこんな台詞量は初めて、とのこと。Wikipediaを見たら「BOYS AND MENの元メンバー」とあった。2019年までボイメンだった、という情報を後で見てちょっと混乱した。初めてストレートプレイの舞台に立った堀夏喜さんにとっても、田中さんとの共演はとても大きなものになったと思う。

現段階では堀夏喜さんは見た目の割に声がやや細めで弾力がある。そして基本の発声が優しいというか柔らかい。内向的な性格が出てる声という印象でもある。そのため声で迫力を出すのが難しいんだけど、「10代のまだ大人になっていなくてオラついてる感」が出せる声でもある。そういう意味で高校生のホームレッスンでの朔太郎の役、少年のアビスでの玄も、オラついてるけど子供、に感じられてよかった。*3

薄暗い物置部屋の中にただ座っている佇まいが、本当に人形のようで、とてもよかった。

堀夏喜さんのシルエットは本当にバランスが絶妙で、ひとりで立っている姿を見ると170cm前半かなと感じられるのに、実際は180cmという身長なので、画角が切り取られる映像ではなく舞台で演技となるとその身長が本当にそのまま存在感になる。ホームレッスンでいうと、背中を丸めがちで元々そこまで背が高いわけではない大夢と、三上家が狭苦しくなった朔太郎の対比が体格からも感じられてとても良かった。

初挑戦でいきなりこの内容の舞台で、いきなりマイクに頼ることのない紀伊国屋ホールに立ったことは、とてもやりがいがあったと思うし、今後の演技の筋肉になる経験だったはず。まだ、彼自身が少年と青年の狭間の複雑さを持っていて、肉体的にも精神的にも10代の心の複雑さを表現できるうちに沢山そういう役を経験してほしいなと思う。

 

*1:後々の展開上、この時点で入籍し、同居を始めたと理解するべきなんだけど、この時点ではそこまで読み取れなかった

*2:反社会性パーソナリティー障害の原因として書かれるのが遺伝と虐待

*3:玄は原作ベースだともっとドライで低いトーンのイメージだとは思うが