きらきらしたものを集めたい。

主にジャニーズ、たまにアイドル。/絶賛事務所担進行形 → 主にK-POP、たまにジャニーズ、たまーーにアイドルへ移行→主にLDH、そこそこK-POP、たまにジャニーズ、ちょっと坂道に移行したみたい。。

美しい彼よ、永遠なれ。

エターナルだった。「エターナル」というタイトル以外にあり得ないという素晴らしい作りだった。

まだ見てない人は見て欲しい。ドラマはシーズン2まで全部見てから見て欲しい。パンフレットも読んで欲しい。

以下、ネタバレ込みでの感想文。

 

1クールのドラマとして制作が始まり、シーズン2と映画という続編。高校3年生での出会いからの大学卒業までとする落としどころが絶妙だった。

映画としては、夢から始まり現実に終わる。テレビドラマよりもセンシティブな画もあるが、アヒル隊長を介することで、決してファンタジーとしてのラインを越えることがない。映画になっても、あらゆる部分で回収されない伏線があり、見る側が勝手に広げられる余白がそこにある。

BLという世界は、少女漫画のファンタジージャンルのひとつであって、実写化するに当たってもあくまでファンタジーであってくれる方がいい。美しい彼はしっかりとファンタジーを貫いてくれた。最近「ゆるBL」というジャンルがひとつのブームではあるんだけど、ファンタジーさがなくなる描写が不要だから実写化しやすいということもあるように思う。そして窮鼠は映像化にあたってファンタジーを選択しなかったパターン。というのは余談。

 

しかし映画はファンタジーでありつつ、「ファンの在り方」を問われる作りでもあった。

映画のなかで、清居の先輩である安奈と他事務所のアイドル桐谷のスキャンダルが報じられ、清居も巻き込まれる。その最中清居がSNSの反応を眺め「そんなもんだよな…」と呟く。そのシーンに胸が痛む人たちは多いはずで、でも、映画を見ながら「ひらきよの永遠」を願わずにはいられない。ひらきよの永遠を願うものが、「ひらきよの永遠は祈っているが演者側のスキャンダルは許せない」なんてことは矛盾でしかないことを突きつけられる。

ふたりの始まりの高校に戻り、教室で永遠を誓うふたりの姿を見て、ライスシャワーのような紙吹雪のなかを手を繋ぎ笑顔で走るふたりの姿を見て「あぁ、ずっとこれを見たかったんだ」と涙した。あのシーンに、映画を見ている側は祝福以外の気持ちなど持ちようがない。では作中の清居のファンはどうだろう。作中の清居ファンに対しても祝福してくれよ!!!!と映画を見ている側の自分は思う。

 

エターナルという形で終わったので、もう続編なんてものは野暮でしかなく、きっとそれはやらないだろうし、やってほしくない。正直に言えば、2人をこれ以上の年数そのキャラクターで縛ってほしくない。もっと正直に言えば、八木勇征がこれ以上清居奏に縛られてほしくない。俳優役で、なお当たり役すぎるが故に、FANTASTICS八木勇征の姿を清居奏として見られてしまうのが続くのはつらい。本人にとっても、それが続くことで清居奏が重い鎖に感じられてしまうようになってほしくない。作中の設楽も安奈の当たり役の姿に捕らわれていたから、ずっと安奈の相手役の姿を模して暮らしていたし、安奈をずっとその役と混同して見ていた。その結果がアレだ。

自分にとっての星となる人たちの人生に対し、ファンは幸せを祈る以外の選択肢はない。どのような選択をしても、星として見ている側にとっては、その人生の選択を受け止めるしかない。その選択で幸せに導かれることを祈るしかない。

 

美しい彼、改めて愛のあるとてもいい作品でした。