きらきらしたものを集めたい。

主にジャニーズ、たまにアイドル。/絶賛事務所担進行形 → 主にK-POP、たまにジャニーズ、たまーーにアイドルへ移行→主にLDH、そこそこK-POP、たまにジャニーズ、ちょっと坂道に移行したみたい。。

W troubleというコンセプトについての話とライブの感想。

W troubleというコンセプトを好きと思える人には本当に不快極まりないことを書きます。その上で、読むか読まないかは選択してください。個人の感想です。

 

 

 

W troubleというコンセプトでアルバムのプロモーションをはじめたときに感じたフワッとした違和感から、オンラインでの公演を見て、明確に言葉に出来るようになった。明確になった感情は「やっぱりこのテーマかなりダサいわ」だった。

本人非公認のバンクシー展が日本国内で全国展開で行われている2020年に「“芸術が禁止された世界”に抗うグラフィティアート集団“W trouble”が“ART”を世に届ける」というのは、すごく、ダサいと思う。

バンクシーという芸術家の存在が広く一般に認知されている時代に、バンクシーの二番煎じのような設定をもってきて、社会風刺的なドラマを演出されても、いや、なんかそんな感じの有名な方いらっしゃいますよねという感想で。

ショートムービーを改めて見直したけど、やっぱりスプレー缶数本で人力で高いビルの壁面に大きく塗装できるわけないし、とかそもそも規模感と設定があまりにありえなくて、その部分からもうお粗末すぎやしないだろうか。そしてライブのOPに作られているVCRドラマでもセリフとしてあったけど、「テレビは俺らを断罪しても、ネットでは大人気」という設定ももう、DEATH NOTEが連載していた2000年代くらいの世界観すぎる。今のSNSの論調がひとつになるとなんてあるか???偏向がひどいネットメディアによって、ひどい偏向に"目覚めた"人達が独自の正しさを掲げたりしている時代に、みんな揃って彼らの活動を支持するか???そんなことあり得ないだろう。もちろん彼らの信者も出るだろうけど、彼らの活動を認めない人達が私刑のために彼らの事をすぐさま特定しにかかり、実生活の彼らに関わる人達ごとオモチャにしてしまうだろう。

そもそもストリートアートのなかでも、グラフティアートは署名行為であって、自分の名前やシンボルを拡散する行為。それ自体がアートであるのは確かではあるんだけど、バンクシーが街中に残す作品は分かりやすくメッセージ性のあるアートになっている。*1芸術を禁止された世界では、ただの署名行動であっても評価するのだろうか?芸術を禁止されていない世界線でも、署名であるグラフティアートに対しては落書きとして消されるのが日常であって、それは政治からではなくそこに生活している市民からの行動でしかない。ストリートアートが歓迎され称賛されるのはバンクシーくらいのもので、それは美術館を巻き込んだゲリラアートなどの活動があった上のことで、多くのアーティストが今においても見つかれば逮捕される。街に大規模なグラフティーアート描く集団がヒーローになるというのはあまりにも違和感が大きい。

今の時流でいうなら、政治で決められたことに違法行為で反抗するのではなく、芸術を禁止したり食事をただのサプリメント配給制にするような法律を採決させないためにデモ活動を先導しているならまだわかる。当たり前にむちゃくちゃな法律を施行されて黙って従う国民の姿を描くのはもう見たくないって思った。現代において描くのならば、全員黙って無茶苦茶な政治に従うなんてことはあり得ない、自分たちで法律の採決を止める、であってほしい。もちろんただのアルバムのためのコンセプトムービーにそこまで作り込めって言うのは違うのかもしれないけど、社会を風刺するような内容って、雑な設定でやればものすごくピントのあっていないものになってしまう難しい内容だと思う。掲げた立派なコンセプトに対して、ドラマとしての設定があまりにもお粗末で稚拙。稚拙でもいいのかな、アイドルなら。でも、この時代にここまでお粗末なドラマを大真面目にやられると大真面目にダサいよ、としか思えなかった。

 

という、W troubleというコンセプトへの違和感をもって見てしまっているという時点でライブをテンション高く見られなかったのはあると思うんだけど、それにしても少し歌の荒らさが気になった。

W troubleというアルバムに続いて、証拠というシングルのコンセプトもあまりピンとこなくて(「間違っちゃいない」をわざわざ全員曲にして同じようなメッセージソングの証拠のカップリングにしたことは完全に解釈の不一致だった)、証拠という曲自体、メッセージ以上に毎回歌い方が強くありすぎていて、音楽番組を見てて引いてしまったんだけど、それ以降歌唱スタイルが強さで押しきることが増えているように感じる。この部分については重岡が特にそう。どんな曲でも語尾を強さで押しきりがちになってるのが悲しい。元々歌がうまいメンバーが多いグループだと思ってきたんだけど、今回見てて、濱ちゃんとか特に、前からこんなに音程崩れるっけ?ってなるシーンが多かった。難しい音程の楽曲が多くなり、うまいメンバーに難しいハモりとかを多く割り振るようになったからかもしれないけど、全体的に以前より歌が聞きにくくなったと感じてしまった。「歌がうまい」を見せようとしすぎると、テクニカルなパートが増えて、そもそも楽曲として不安定だったり曲としてのメロディーの良さが蔑ろになってしまうってアイドル楽曲ではよくあることなんだけど、その感じなのかな。

フルに生歌でやってるのがすごいことなのは確かなんだけど。丁寧に歌やパフォーマンスと向き合う、みたいな姿はあまり見られなかった。正直、体力は放っておけばどんどん衰えるし、以前のように揃ってリハをする時間もないだろうし、運動量と生歌を両方維持するのはかなり難しいと思う。何を維持して何を手放すか、その辺の分岐点な気がしてしまった。

ただ、バンドを背負っての証拠はよかった。バンドの音の厚みに負けてなくて、聞き応えがあると思った。今の彼らの歌い方はバンドサウンドにはあう。

配信ならではの仕掛けをしたりすることはよかったと思うし、仕込んだゲームの映像を見せてくれたこともよかった。でもWEST史上最高にかっこいい、ではなかったかな。

 

なんとなく今のWESTはかなり同世代男性をターゲットとして意識していると思うんだけど、それはそれで悪いことじゃないし、同世代男性からも親近感を持たれやすいキャラクターが多いグループだとも思う。だけど、それがなんか嫌な方向にいかなきゃいいなぁと思っている。男の夢とか男のロマンを、みたいなコンセプトとか言い出されても嫌だし、ガサツを男らしさとして捉えられても困る。ガサツはガサツでしかないので。もちろん自分にとっての嫌な方向であって、それが商業的に成功になるならいいのかもしれないけど。

 

グループが穏やかに成熟していくって本当に難しいな…と思う。WESTはデビュー前こそ色々あってもデビュー後は基本的に平和にここまできている。平和だからこそ、話題性って面だったり、メンバー間の関係性が甘えになってしまう部分だったり。フレッシュさではもう若手には敵わない。正直、技術という面でも、若手の方が上だと思う。いろんな角度から自分達でアピールしていこうという姿勢は否定したくないという気持ちは間違いなくある。ただ、ライブを見て、改めてW troubleのコンセプトが続く限りはちょっと遠目に眺めることしか出来ないなぁと思った。

*1:この記事の「グラフィティとストリート・アートの違い」を参照。 https://www.artpedia.asia/street-art/