きらきらしたものを集めたい。

主にジャニーズ、たまにアイドル。/絶賛事務所担進行形 → 主にK-POP、たまにジャニーズ、たまーーにアイドルへ移行→主にLDH、そこそこK-POP、たまにジャニーズ、ちょっと坂道に移行したみたい。。

「ビジョナリー・カンパニー」から見る日本のショービジネス

3ヶ月かけてせっかく読んだので、読了記録として自分なりの感想文です。あくまで、分析検証はしていませんので悪しからず…

ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則

ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則

 

沢山の企業へのアンケートからビジョナリーカンパニーとした会社の多角的な比較分析、検証を行ってまとめられた本で、とにかく読んでいく上でもその苦労を感じさせる重量感で、ビジネス書を読みなれないので苦労してしまった。とはいえ、非常に面白かった。

この本からショービジネス、アイドル業界を考えるってあんまり妥当じゃないかもしれないけど、読み進めていくうちに「現代日本のショービジネスにおいてビジョナリーカンパニー(この本でいうと「長く発展し続けている未来志向企業」)と呼べるのは宝塚だけだろう」という感想が固まっていった。

いくつかの項目があるが、まず「ビジョナリーカンパニーに必要なのは"時を告げる人"ではなく、"時を刻む時計を作る仕組み"を作ること」という点。

わたしは宝塚を創始者や現社長ありきで語るファンに出会ったことがない。今の宝塚の魅力を語る際に用いられるのは誰かの逸話ではなく、その組織の仕組みの話だろう。対してジャニーズはずっとジャニーさんが"時を告げる人"として組織を動かしてきたことは明白である。滝沢さんにバトンタッチしたことにより、仕組みを変えていくのかは分からない。

また、「カルト的な文化がある」という点。

この部分がなにより宝塚だ。宝塚音楽学校で徹底されている伝統のアレコレとして外部にも伝わる文化は、現代の学校教育とはかけ離れたものであるにも関わらず、毎年入学希望者が溢れている。内部の文化だけでなく、ファンの文化の根付き方も他のファンダムとは一線を画す徹底された伝統。ジャニーズのファンにもカルト的な文化はあるが、宝塚のように徹底されたものではない。

 

他にも本のなかにある項目のほとんどで宝塚を思い浮かべられた。と同時に、歴史こそ浅いけれども、LDHもビジョナリーカンパニーの志向で経営されているように感じた。少なくとも経営についての本やマネジメントの本を手に取ることなくここまで経営してきたとは思えない。HIROさんは今は"時を告げる人"だろうけれども、同時に"時計を作る仕組み"を作っているように思う。ただ、中の在り方として、EXILEをトップとしたピラミッド型の組織を作っているように見受けられるので、そこはきっとこのビジョナリーカンパニーとは違うところから何かを得ているんだろう。

 

ジャニーズが別にビジョナリーカンパニーを目指してきたわけでもないことはわかっている。ただここまで長く愛されてショービジネス界に確固たるポジションを築いたからには、長く発展していく企業を目指していくこともいいと思う。勿論、ビジョナリーカンパニーという考え方が絶対的な正解ではないけれど、ひとつの見方としてこういう定義を頭のなかに入れて見ていくのも味わい方に広がりが出来ていい、と思う。

SEVENTEENはHappy Endingでどのようなシーンを作るのか。

映画のシーンという意味合いと音楽シーンの意味合いとで、どのようなシーンを作るのかとしました。

どちらかといえば、ビジネス的な作り方としての考察です。

 

5月29日、SEVENTEENの日本での1stシングルが発売される。

発売に先行してMVも公開された。

Happy Endingというタイトルから、白い建物の中でお花に囲まれたようなイメージを浮かべていたけど、楽曲もMVもそのようなトーンではない。

「愛してる」という言葉をウジさんが使ったことがすごくインパクトがあった。よくよく聞いていくと「愛してる」には「言ってほしい」「聞かせて」が繋がる。自分自身が相手に対して伝えている言葉ではなくて、相手に対して求める使い方をしている。なるほどやっぱり自分で進んで相手にいうキャラクターではない。

ただ、最後だけ「話したい 話したい 愛してる してる」「貰って 貰って 愛してる」になっていて、最後の2フレーズだけ、自分の「愛してる」になる。*1

 

この愛してるのリフレイン、目の前にいる相手に対しての言葉ではないように感じてしまった。少なくとも、目の前にいたとしても、話せる状況ではない相手。

 

曲を聞いて、ずっと「君の膵臓を食べたい」が浮かんでいる。あの映画*2は、ハッピーエンドと捉えるかは人によると思うけど、あの世界に近いものを感じている。

「一緒にいよう」という言葉から広げた楽曲とインタビューでウジさんが答えていたけれど、そこにあるのは物理的な一緒ではなくて、「すぐに会えなくても心は共にいよう」ということなんだろう。そしてそれは今現在は実感できているものではなくて、切なる希望。と感じてしまった。

 

ウジさんの描く恋愛の曲は、進行中であれ終わったものであれ、いつも相手が側にいて触れている状態ではない気がする。目の前にいて言葉を直接伝えられるのはメンバーだけで、恋愛としての相手は目の前にいる時に沢山の言葉を伝えることは出来なくて、離れてひとりでいるときに沢山の言葉が溢れてくるようなイメージがある。シャイな人柄、なのか、アイドルとしての管理なのかは分からないけれど、前者な気がしてしまうのがウジさん。

 

MVについては、直接的に楽曲の世界観と繋がっているわけではないと思う。MVはMVで世界があり、いろんな曲同士がリンクしている。本国のMVとも繋がった世界観で作れるのがSEVENTEENの強みだろう。

 

それにしても年1回の音源リリースというペースでの日本活動。本当に新人のアーティストとして異例なこと。それでも、今回のシングルで、既存の日本のレコード会社との契約を結ばずに自分達のペースで日本でCDをリリースしても、自分達の納得のいく楽曲で、自分達の納得のいくパフォーマンスで、しっかりとしたプロモーションが伴えばちゃんと結果が出せるということが実績として明らかに出来るだろう。本当に日本の音楽業界を動かす可能性があることをしている。

個人的には今回のプロモーションで、いよいよプレディスジャパンさんにシビレてしまっている。

ツアーのグッズをLoppiで買わせてくれることも、早期完売したものを再生産や受注生産してくれることも、当たり前のように受け止めているけれどもアーティストのグッズとしてそんな至れり尽くせりなことは本当に稀だ。そして、ファンのメイン層に届きやすいWEGOZOZOTOWNとのコラボアイテムに、お金を落とさずとも楽しめる新宿LUMINE ESTや渋谷109のキャンペーンはもちろん、ミュージアムにポップアッショップ、カフェがあることでファンが集まってSEVENTEENの公式グッズを買いお茶をして楽しむことができる。

そしてなにより、角川書店の洋書文庫のブックカバーキャンペーン。学生も罪悪感なく手に取りやすい商品で、書店に並ぶことでこれまでにない層への認知にも繋がる。親も買ってあげやすいだろう。

これほどまで大規模なプロモーションを出来るのも、年に1回だからということが大きいと思う。

かつて関ジャムのMV特集の回で、著名なMVの監督が「日本のMV製作の予算は平均30万円程度」と話していたけれど、SEVENTEENの日本の楽曲のMVはその予算で収まるとは思えない。

もちろんこういった広域プロモーションだけではなくて、昨年のクルーズイベントに引き続き沖縄ツアーという超選民イベントを開催することも大きなポイントで、「高いハードルを越えて近い距離でメンバーを感じることが出来る機会」を求めている人を満たすイベントを公式で用意する上手さがある。

 

改めてもうアイドルだけでなく日本のメジャーアーティストの活動の在り方を考えていく時期なんじゃないかと思うし、これからの日本でのSEVENTEENの活動が本当にビジネスとして興味深い。

これからどれくらい先まで見ているのか、どれくらい大きな規模を見ているのか、どれくらい柔軟に動くのか、SEVENTEENのハッピーエンドはどのような形として描いているのか。

 

それにしても、3億円くらい空から降ってこないかナァ~~(遠い目)

*1:「愛してる 知ってる」かと思ったら「愛してる してる」だったので修正しました。

*2:原作を読んでいないので映画としてのストーリー

平成のヲタク遍歴を振り返ってみた。

あんまり改元にピンときてないんですけど、せっかくだからビッグウェーブのっとこう*1と軽い気持ちで書き始めたら大変な長さになってしまった。31年は長い。

 

ちょうど小学校入学時に平成を迎えた世代なので、いい具合に平成にここまでの自分を構成してきたアレコレが収まる。

 

平成元年~平成4年 始めてのアイドル期

平成に入る前から、初めて好きになったアイドルとして光GENJIがある。幼稚園から小学生当時、夜にテレビを見せてもらえなかったけど、Mステだけは毎週見させてもらっていた。オリンピックの際にバルセロナから中継というのが何故か印象に残っている。キラキラしてたんだなぁ、光GENJI。かーくんは本当にスーパーアイドルだったし、今もたまに出て来てバラエティーで意地を見せたりするところ、やっぱりスーパーアイドルだなと思う。

 

平成4年~平成6年 はじめてのアーティスト期

当時の友人の影響もあり、B'zにハマる。「好きなアーティスト」としての最初はB'zという認識がある。「裸足の女神」を買った覚えがある。アルバムで1番聞いてたのは中古で買った「IN THE LIFE」。1990~1995あたりの曲はめちゃめちゃ思い入れがある。

 

平成6年~平成7年 ミスチルからFMヲタク期

中学受験直前にFNS歌謡祭だったと思うんだけど、年末特番に出演*2していたMr.Childrenにいきなりハマる。「Tomorrow never knows」にハマる。年末年始からもうミスチルのことしか考えられなくなり、ミスチルのことを学びまくって入試には落ちまくった。当時のミスチルは本当に見た目こそソフトだったけど、発言は本当にシャカマ全開のオラつき具合がよかった。ミスチルドキュメンタリー映画などもあり2回見に行った。ちなみにナカケーが好きだった。竹下通りでナカケーの写真を買ったりした…。

元々ラジオが夜のお供だったけど、ミスチルが出るということからNHK-FMのミュージックスクウェアを聞き始め、そこから邦楽バンドと沢山出会って一気にいろんな音楽を聞くようになった。軽く邦ロックヲタク期間がある。当時聞いてたTOKYO No.1 SOUL SET、THEATER BROOK(佐藤タイジ氏)あたりが現役なのは感慨深い。小学生の時代はAM派だったけど、完全にFMっ子になる。

音楽以外だとガンダムWにハマる。二次創作的なアレなど。GWにハマっても他のシリーズにまではハマらなかったのでガンダムについては詳しくない。

 

平成7~平成10年 ヴィジュアル系ヲタク開眼期

ヴィジュアル系開眼。友人の影響で黒夢から。初期の黒夢をダビングしたテープを伸びるくらい聞く。別の友人がLUNA SEAにハマりLUNA SEAも聞く。LUNA SEAの色褪せなさは本当にすごい。

そこからPenicillinのデビューくらいまでとか、hvという雑誌に載っていた各地方の関係図(名古屋系とかがアツいやつ)とかを暗記するくらい読み込む。

La'cryma Christiに出会い、そこからしばらくはラクリマを地盤に生きる。中学生当時はライブに行かせてもらえなかったので、昼間のサイン会とかインストアイベントに行くようになる。

平成10年の1998年は本当にヴィジュアル四天王時代だったし、世間的にも「GLAY派かラルク派か」の時代。わたしはその問いには「どっちかといえばLUNA SEA」と答えていた。

もちろん学校にはジャニヲタもいて、当時はJrがアツかったのも記憶にある。

ヴィジュアル系を聞くようになって洋ロックも聞くようになったのもこの頃かな。モトリー・クルーを聞いて「B'zの源流はここだったのか…」などとなる。

 

平成10年~平成13年 ヴィジュアル系ヲタク最盛期

ラクリマを中心にヴィジュアル系を聞き、ファンサイトで友達とチャットし、現場でワイワイしてた。みんなで名刺を作ったり、原宿神宮橋で会ったり。たまぁにライブハウスの対バンに行ったりもした。ファッション的にもKERAが創刊されて原宿系が元気で、ロリータとかもしたりした時代。

また平成12年、モーニング娘。に4期生が入る。タンポポからモーニング娘。にハマり始める。大学受験期はモーニング娘。と友人からすすめられたBUMP OF CHICKENが救いで、毎日「I wish」と「ダイヤモンド」を聞いて過ごしていた。

 

平成13年~平成14年 地下バンドヲタク期

BUMP OF CHICKENからまたロキノン系を聞き始め、In the soupアジカンACIDMANとかを聞くようになる。THE JETZEJHONSONに通い出す。中学時代からの友人の繋がりでバンドのスタッフをやり始める。大学2年くらいがピークで週3以上ライブハウスに行ってた。当時行ってたり関わってたバンドで続いてるバンドはそれこそジェッジくらいだけど、もっとYouTubeとかにライブ映像とかあげてたら運命が変わってたバンドもあるのかなぁとか思う。単純に今も見たい聞きたいと思ったときにオンラインに残ってないので切ない。PUGもinklineも大好きだった。皆さんお元気でしょうか………

 

平成14年~平成17年 ハロプロヲタク最盛期

スタッフしてたバンドが解散して心にぽっかりという時期にちょうど地元の市民ホールにあややが来るぞ!ってことで市民ホール枠でチケットを確保。加護さんを入り口にそこそこずっとハロプロを聞いてたけど生で見る松浦亜弥さんの輝きに本当に感動してそこからしばらくはハロヲタとなる。現場で楽しみ、狼*3を本拠地にしつつ壁紙サイトをやったりしていた。亜弥ちゃんと加護さん、そして初期ベリまで。いわゆるヲタサーのあれこれ的なことと就職によりヲタクらしい生活から一旦離脱する。

ソテジにハマった友人の影響でちょっとだけ韓流をかじる。SE7ENさんにハマり7の字のペンラを振っていた。

 

平成17年~平成20年 ジャニーズ茶の間ヲタク期

ハロヲタとして狼を拠点に生きていた時に、狼に立っていたジャニーズスレからジャニーズへの目覚め。そこに貼られていたHeavenly Psychoのマルチアングルの大倉さんを見て大倉さんを認識する。それまで関ジャニ∞といえば内くんだった。というかNEWSの内くんだった。そんなタイミングで内くんの事件があり、大倉さんがいきなり推されだす。ごくせんで親戚が亀担になりYou&J*4の恩恵を受けて3組のコンサートに行くようになる。ここから茶の間ベースのジャニヲタになる。

 

平成22年~平成25年 プロレスヲタク最盛期

マッチョ*5の影響で新日本プロレスを見始める。平成23年はオカダカズチカがスターダムをすごい勢いで駆け上がっていく年で本当に面白かった。簡単にチケットを取れなくなりだして現場から遠退いてしまった。わたしがTwitterを始めたのは新日本プロレスのためだった。当時も今も推しはずっと100年に1人の逸材、棚橋弘至選手。逸*6はずっとヒーロー。

この時期のもうひとつの趣味は競馬なので、分かりやすく男の趣味ベースに染まるオンナの時代。いや、これはこれで楽しかったし今も競馬は好き。

 

平成23年平成24年 女子ドルヲタク復活期

Twitterを始めたこともあり、オンライン上で友人との繋がりが出来たり、ヴィジュアル系時代からの繋がりやハロヲタとしての繋がりが戻ってきたりという時代。東京女子流が好きなったきっかけは忘れてしまったけど、平成23年~24年はプライベート的には地獄の時期で、その心の癒しが東京女子流だった。いろいろあり自分の楽しみは後回しにしてたけど、もう我慢しないぞ!ってリリイベに行き始めて、ドルヲタとして現場復帰。

 

平成24年平成27年 地下ドル応援団期

ヲタク友達のオススメからいずこねこに出会い、東京女子流の定期公演の日に会場のZepp Divercityのすぐ近く、ガンダムのところでリリイベというタイミングありそこからドボーンといきなりいわゆる地下アイドルのヲタクになる。対バンばっかりで、かつてヴィジュアル系ヲタク期や地下バンドヲタク期に行っていたライブハウスでアイドルを見る世界線へ。近い距離感で、生誕やブートグッズ作ったりという本当に応援団のようなヲタク活動はここでやりきった気持ちでいる。本当にいろんなことがあったけど、いい経験だった。

 

平成25~平成29年 ジャニーズ事務所担期

ずっとジャニーズも見続けてるんだけど、ジャニーズWESTのデビューからジャニーズWESTも応援しはじめて、ガムシャラ!からJrを見始めて少クラも見始めた。ありがたいことにいろんな方面から誘いをもらってJr以外もA.B.C-Zもキスマイも見にいけた。Jrの面白さと共に、チケットの倍率の過酷さ、デビューが見えない残酷さみたいのも感じられて学びが多かった。そしていろんなジャニーズの現場へ行くことで関ジャニ∞の当時のアレコレ*7にフラストレーションを溜めていった。

 

平成27年~現在 ゆるく真面目な地表ヲタク期

応援団ではないスタンスで、今もヲタクを続けてるのが東京パフォーマンスドール。半地下、というのもちょっとツラいので地表とさせてくれ。平成29年中盤からしばらく記憶に残ってない時期はあるけど、6人になってしまってからまたとてもいい。個人の仕事も増えてきて、個人的にはRoad to 2020*8が叶えば満足なので、東京オリンピックまで走りきってほしい。そしてきれいに解散してくれたらいいなぁという希望がつよい。

 

平成29年~現在 K-POPヲタク開眼期

周囲の友人の熱量に用意されたエスカレーターによりあれよあれよとSEVENTEENにハマり、気がついたら生活の中心がK-POPになる。少なくとも生活の中の音楽はストリーミングでK-POPばかり聞くようになるという大きな変化。正直もうCDを取り込む生活には戻れない。どちらかといえば苦手意識があるに近かったけど、触れてみたら新しい価値観を得て、パスポートを得て言葉通りに世界が広がった感覚がある。Jrと逆のポンポンデビューする世界のそれはそれの残酷さを感じつつ、世界市場をベースにした活動を眺めることは面白い。

 

平成29年~現在 再・茶の間ジャニヲタ期

小瀧さんが成人を迎え、長らく続けてきた大倉担から小瀧担になるという大きな変化を迎える。なんか、真っ当に真剣にアイドルとして努力し続けてる小瀧さんを穏やかな気持ちで見守りたくなったので。と同時に、過剰な思い入れをなくすことで関ジャニ∞もまた楽しめるようになった。台湾公演も平成のいい思い出になった。

 

平成30年~現在 茶の間坂道ヲタク期

乃木どこ時代から、あのテレビ東京坂道枠が好きで、今も乃木中・けやかけ・ひなあいを週3回くらいずつは見ている。だいたい全部展から乃木坂を改めて好きだな!ってなったのもあるし、日向ちゃんがとにかくハッピーで楽しくてかわいいのでおひさま*9になった。これからも健康的にハッピーなグループでいてくれたらいいなと思う。

 

令和に向けて

別段新しい元号になったからとて心持ちが変わるわけでもないけれど、これからも永遠にどんなジャンルでもにわかテンションで足を踏み入れたり引いてみたりしていきたい。

自分の場合はどんなジャンルであれ人間ありきの楽しみ方なので、表現をする人、ステージに立つ人がいる限りきっとそれを見て楽しんでるだろうと思う。

あと最近中高時代に共にヴィジュアル系に生きていた友人とSEVENTEENを見ていたり、スタッフをしていたバンドのメンバーがアイドルのプロデューサーになっていたり、年月を経ていろんなところで思いもよらぬ交わり方をしたりしているので面白い。これからもきっとそういうことが発生すると思う。楽しみだ。

*1:もうこういう表現しないですか?

*2:もちろん会場でではなくレコーディングスタジオから

*3:にちゃんねる

*4:NEWS、関ジャニ∞KAT-TUNの合同FC

*5:夫の通称。当時はまだマッチョではなかったし入籍前

*6:棚橋選手の通称

*7:元気が出るはずが腸閉塞になるライブ

*8:MXチャンネルでレギュラーバラエティーだった東京号泣教室のキャッチコピー

*9:日向坂のファンの名称