きらきらしたものを集めたい。

主にジャニーズ、たまにアイドル。/絶賛事務所担進行形 → 主にK-POP、たまにジャニーズ、たまーーにアイドルへ移行→主にLDH、そこそこK-POP、たまにジャニーズ、ちょっと坂道に移行したみたい。。

滝沢歌舞伎ZERO 2021を見た話。

2月に映画を見た翌日にチケットを申し込んだ。ありがたいことに、1公演当選した。2月に映画を見たその余韻がまだある状態で、公演を見ることができた。

緊急事態宣言解除に伴い、席を追加販売するとなったときどういう形になるのかと思ったら、手元に届いたチケットは連番でありながら1つ番号が抜けたもの。連番であろうと間に追加販売分の人が入る仕組みだった。交換して連番で見てる人が多かったけど、それを言い出すタイミングが掴めずチケット通りの席順で見た。*1

追加販売したとはいえ、全席解放ではなく、最前列と花道から左右3席分は全列使用していなかった。

自分の座席が2階の前の方、花道の真上となる正面の下手端側。想像よりも遥かに見晴らしのいい座席で、2階の上下の端にせり出した小さなひさしのような小さいステージも間近で見られて本当にありがたかった。

映画で見たばかりなので大体の演目の流れは分かっていたつもりで見ても、映像と現場ではやはり迫力が全然違う。特に腹筋太鼓は映像で見るものとは別モノの凄みがあった。やっぱり太鼓という楽器を選んだことの意味は大きいよなぁとしみじみ思う。和太鼓から出る音は音の大きさ以上に振動がある。すごい数の和太鼓を同時に打つのでそれだけでもう演舞場の空気はビリビリとする。演目の導入に、上下の2階のひさし部分でJrの子が身を乗り出して太鼓を打つ。それだけでも圧巻だった。生で見る腹筋太鼓、笑っちゃうかもなぁって思ってたのに全然笑えなかった。ただただそのビリビリとくる音と気迫に息を飲むしかなかった。

ラウールさんとしょっぴー渡辺さんという体格差が分かりやすい2人が前半のセンターを努めていたので、いかに背が高く足が長いラウールさんが大変かというのがよく分かった。足が長いと足に挟んだ太鼓がとても遠い!手も長いとはいえ、他の人よりも腰を曲げて手を伸ばさないと太鼓が届かないというのは、寝て起きて叩く一連の作業においてものすごく負荷が大きいだろうと思う。もちろん見映えもいいのだけど、ものすごいことをしてるなと改めて震えた。

そして後半のやぐら太鼓では佐久間くんと共に目黒くん向井くんがやぐらに立つ(立つというよりは吊られる)。映画で見て分かっていたけどやっぱりこれも生で見ると感慨深かった。

すごいなと改めて感じたことは、ひとつひとつの演目が流れるように切り替わっていくこと。映像として見てはいても実際現場で見ると「つまんだ時間がない」のを実感する。数秒たりとも余韻以上の空白がない。映像で繋ぐ時間はあれど、その流れすら変な間合いはない。

白塗りをステージ上で行い、しっかりと歌舞伎の演目を行い、そこで前半が終わるわけでもなく数分の映像で繋ぎすぐに素の姿に戻り大量の水を浴びながらの演目を行い幕が閉じる。前半の畳み掛け、分かっていたはずなのに「歌舞伎では終わらないのか!」という衝撃。

白塗りをしながら岩本くんがIMPACTorsのバッキバキのパフォーマンスを見守るのは世界観がぐちゃぐちゃでなかなかすごい画だった。

今年はコロナ対策として削られた演目も多いと思う。時間も短かったのかな?そして代名詞の小判は「拾わないでください」という注意が事前にあり、量もきっと控えめだったと思う。それでも本当に圧倒された。本当に圧倒された。あの公演を毎日、日によっては1日2回やるって、ものすごい。こんな鍛錬を毎年していればそりゃコンサート9公演くらいブレることなくやりきれるはずだ。分かっていたけど、分かってたつもりでも、体感するってこういうことか……と久しぶりの感覚にしばらく「すごかったな……」しか言えなかった。

個人個人についていえば、とにかく舘様だった。舘様がいることで歌舞伎が歌舞伎と言えるんだろうというくらい、殺陣も歌舞伎もその所作が全てしっくりと来すぎる佇まいだった。もちろん歌って踊っていても水に打たれようとも、ブレのない美しさだった。何年か前に少年たちでは何度も見たはずなのに、演舞場で見る舘様はそれはそれは全く別の存在感だった。とはいえ、推しはしょっぴー渡辺さんであることを再確認もした。本当にキュートな人………

 

見に行けてよかった。それは本心で、ただでも、やっぱりやるせなさはある。去年は関ジャニ∞の47都道府県ツアーが途中で中止になり、見れなくなった側だった。それを受け入れ立ち直るまでかなり時間がかかった。

舞台についてはコンサートより安全だろうと思う。とはいえ、開演前もお弁当のために数時間の大行列になり幕間にはトイレに大行列になるし、公演のために遠くから来る人もいる。途中で公演が中止になるという可能性はあると想定していたとは思う。ただただ、とりあえずは感染者を出さずに幕を閉じられたという点についてはよかったと思う。

また来年がある。彼らはまた滝沢歌舞伎ZEROの幕を開ける。万が一の場合にはまた映画としてでも。歌舞伎についてはそう断言できるものだと、肌で感じて実感ができた。また来年。

*1:何かあったときに番号控えられたら怖いし

寄り添ってくれる優しさは心地よいだけではなくて。

J-POPとして、何よりも「メッセージが伝わる楽曲」を重視して作られたであろうひとりじゃないという楽曲。これまでの日本の楽曲の中でも圧倒的にボーカルを前面に出した音のバランス。これまで以上に聞き取りやすい歌詞。とてもよくできたJ-POPで、彼らが目指したものをしっかりと形にしたものだと思う。日本でSEVENTEENを聞いている人たち、中止となったドームツアーを楽しみにしていたであろう人たち、それだけでなくSEVENTEENを知らなくてもこの状況に孤独感を感じている人に向けて、ひたすらに寄り添うための曲。その明確な優しさと高い精度で作られた楽曲に対して、ひとりひとりの歌の力強さに対して熱量を持ってディレクションされたであろうこともわかる。バーノンさんの「思い出の中」のパートからの展開にエモーショナルなものを求めたであろうことも伝わるし、その展開がとても良かった。

その完成度の高さを理解した上で、その優しさと高い精度に、自分がJ-POPの一部に対して抱いてしまっている感情を直視させられる形になってしまった。わかりやすさを重視して作られていることへの「面白くないな」という感情。

 

日頃SEVENTEENの楽曲に対して感じている楽しさが、精度の高い分析によって、彼らの手できれいに削ぎ落とされてしまうこと、その彼らの意思と手法の正しさに、戸惑ってしまっている。

シングルのカップリングとして、Run to YouとHOME;RUNが入っているので、その体裁の違いがより際立つ。

Run to Youは発表当時、「日本のアニソンだ」と世界中が認識した楽曲だった。でも、ひとりじゃないから続けて聞くと楽曲の展開、メロディラインはアニソン構文だけど、跳ねるようなパート、主張の強いギター、ベースラインにやっぱりオケの音は今の日本の楽曲のそれではなくて、SEVENTEENの楽曲なんだよな、と感じられた。

HOME;RUNは日本語になっても圧倒的に楽曲の楽しさで、歌詞がどうであっても、ひとつのバリエーションとしてなんでも楽しい。歌う側は大変だろうけども、正直HOME;RUNくらいにもう楽曲の強さがあれば、日本国verの違和感など感じる隙もないんだなと実感する結果になってしまった。

 

当たり前だけど、J-POPが全て面白くないわけではない。最近関ジャムでやっていた「関ジャムJ-POP20年史」、2000年から2020年のヒット曲の中からプロが選んだ名曲ベスト30を見ていても改めて思う。面白い楽曲もすごい楽曲もたくさんある。トンチキといわれるいろんな音楽の要素をつぎはぎした楽曲や、ぶっとんだ世界観の歌詞の楽曲も、King Gnuのようなボーカルのテクニックと楽曲構成で圧倒的な存在もある。

ただかつて同番組で福山雅治が話していた楽曲制作についての話が忘れられない。テーマにもよるけど、カラオケで歌いやすいように音程の幅があまり広くならないように配慮したり、最終的なミックスはiPhoneのイヤフォンでの聞こえ方を重視したり、という追体験しやすい、馴染みやすさを重視した制作。今はそれがより極端なものになり、誰でも手軽に"歌ってみた"ができる楽曲がひとつの潮流になっているんだろうと思う。そこにはわかりやすいメロディーと歌詞だけが必要で、オケは簡単な打ち込みか弾き語りでいい。そこには音の質も厚みも必要ない。拡散された楽曲の断片を聞くだけで原曲の音源を聞くことすらないから。それがカルチャーとしてひとつの形であることは理解しているけど、現状自分はそれを好んで接してはいない。もちろんこれがごく一部の潮流であることは理解している。(ひとりじゃないがココを目指してるものとは思っていないけど。)

そして別の潮流として、アイドルを中心にK-POP的なアプローチの楽曲がものすごく増えている。分かりやすく言えばラップパートがありダンスブレイクがあるようなドゥンバキ楽曲たち。日本のアイドルたちがK-POPをなぞり、SEVENTEENはJ-POPのアイドルの潮流とも違うゾーンをなぞる。それを面白いとは思うけど、わたしにとっては"心地よい"かといえば違う感情だなと思う。日本だけ恋愛っぽい楽曲に終始されるより全然嬉しいのは確かなんだけど。

 

当たり前に今回も「すごい」が前提で、ひとりじゃないというメッセージを届けようと形にしてくれたことに対しての感謝の気持ちもある。はからずもメンバーの過去に対して実在しないことを書かれ、検証の期間表立った活動を自粛するという事態があった。*1その期間も「ひとりじゃない」という楽曲による彼らからの言葉に救われていたし、安心して待てた。そういう意味でも本当にありがたいなと思っている。

彼らの事務所は丁寧に検証を重ねて、

「当社は誰かの記憶のみに依存し、特定の事件が発生したという主張がネット上に公開され、記憶がはっきりしないということで終了する流れになったことに困惑しています。今回だけでなく、以前確認されたこと全てが、アーティストとは関係がないことが確認できたのは幸いですが、この主張によって関係者をはじめ、さまざまな人が多かれ少なかれ心に傷を負い、それに対応するために多くの時間と努力を費やさなければならないことをどこまで耐えなければならないのか、悩んでいるのは事実です。」

と怒りを露にした上で、

「それでも当社は、投稿者と話し合う過程を通じて、投稿者がアーティストとは別に、学生時代の交友関係でさまざまな傷を負った方であると考えたため、今回のことについては別途の措置を取らず、事実関係を明確に確認したことで終わらせることにしました」

と発信した。*2

彼らは、悪意を持ってメンバーの名誉を傷つけようとしたであろう人間に対して、謝罪や賠償金を要求することも出来るであろう状況で、その行動に至った根幹にある痛みに寄り添うことを選んだ。だからこそ、彼らのこれまでの発言も、「ひとりじゃない」という楽曲のメッセージも、絶対的に信じられると思った。これまでも、これからも、自分達が例え傷つくことがあったとしても、そのダメージはメンバーや家族が寄り添い癒していくことが出来るという自信があり、うわべではなく人の孤独や痛みに寄り添うことを選ぶ人たちだ。

 

だからこそ、ちょっと心のささくれに刺さってしまった。これはアプローチのひとつ、なのは理解しているけど、SEVENTEEがわざわざこんなところまで来てくれなくてもいいんだよ……という気持ちになってしまった。まぁ長く書いてるけどCALL CALL CALL!厨のぼやき。

 

ちなみにちょうど4月にリリースされたK-POPグループの日本オリジナル楽曲には他にもいろいろあるのでついでに。

Film out

Film out

同じレコード会社のBack Numberとジョングクさんの共同製作とのこと。*3Back Number感もちゃんとあるけど、違和感があるわけでもなくちゃんとBTSの曲としてまとまってて、ジミンちゃんの高音が本当にいい。

本国の世界観に沿った楽曲たちでとてもいい。ノスタルジックさファンタジーさというところがグループの個性としてしっくりする。Cinemaの日本語verもよかった。声と楽曲が本当に合うトーンの作品なのが最高。

 

Apple Musicだと何曲か配信されてないけど、日本のアルバム。オリジナル曲がたくさん収録されていて、個人的には特に最後の3曲の爽やかな仕上がりの楽曲たちがすごくいい。ドゥンバキマッチョのトーン*4ではなく、色気がありつつ爽やかなんだけど、それがしっかり消化されてると感じる。強いだけじゃない彼らの表情を伝える楽曲になっていると思う。NEO UNIVERSEとかしっかりとしたJ-POPアイドルソングでアンコール1曲目に最高の曲で本当に好き。

 

改めて、日本でリリースされる楽曲がただの日本語verだけの時代は本当にもう終わるんだなと思う。もう日本でのリリースだけが日本語という時代でもないという言葉も見た。大きな商圏に対して楽曲ごとローカライズしてリリースする、英語圏に向けてのリリースは英語のオリジナル曲で、もうそういう時代らしい。すごい。

*1:https://news.kstyle.com/m/article.ksn?articleNo=2163347

*2:https://news.kstyle.com/m/article.ksn?articleNo=2164812

*3:ベストアルバムが出るとのことで、ユニバーサルを離れてHYBEとして日本でレコード会社をつくる動きな気がするので、そのための置き土産的なコラボかなぁと思う。

*4:モネクはドゥンバキというよりマッチョなんだけどドゥンバキを乗りこなす男達なのでいい意味です。

私たちに希望をくれる人がどれだけの痛みを抱えながら走り続けているのか。

「揺るぎない息吹を」と題された安田さんのドキュメンタリーを見た。

全体的に本当にすごくすごくいろんな事を考える時間になった。

軽いノリの「偽善者か」という言葉に何年も囚われた話もすごくすごく思うことが沢山あるけれど、個人的には脳腫瘍の手術前にヘルニアの手術をしていたということが衝撃的だった。

2016年12月から2017年1月までやっていたツアーのバックステージの映像(あれは多分DVDにつくツアードキュメンタリーのために撮られていた映像だと思う)が使われてたけど、2017年2月の開頭手術の直前にヘルニアがあるなら2016年なわけで、2016年って夏はリサイタルがあって12月からツアー。秋に手術なのかなということになる。*1

そして2016年12月発売のNOROSHIのカップリングとして安田さんが作ったBlack of nightがある。このMVなどの作業をしていたのはいつのタイミングだったんだろうかと考えると恐ろしい。

ドキュメンタリーのなかでは脳腫瘍の術後、翌年4月の腰の骨折の話にすぐ移ってたけど、実際のところ2017年の5月6月には公演時間3時間30分*2の主演舞台で演歌歌手役をこなし、7月から9月まで関ジャニ∞としてツアーを行っている。レギュラーのバラエティーにおいてもあからさまに欠席をしていた記憶はない。収録がいつであったかは定かではないけれど2017年の6月までクロニクルでいきなりドッジをやっていたらしい。*3少なくともヘルニアの手術前後にも収録はされていたと思う。

大倉さんが「無理しないでただ生きててくれ」と悲痛な思いで電話をかけたのがどのタイミングであったのかは分からないけれど、2018年に公表を決意するまでは、そのまま普通にアイドル像を維持してやり続けるつもりだったということなんだと思う。2018年に公表をした際もヘルニアの手術については全く触れていなかった。全てのメディアを見てきたわけではないけれど、公式にヘルニアの手術をしていたことを伝えられたのは今回が初めてではないかと思う。

通常、表舞台に立っている人、少なくともジャニーズの人が抱えている悩みや病気や痛みについて、ファンにも見せてくれていることは本当に小指の爪くらいの事なんだろうなと改めて思った。

本人の意思にもよるけれど、どんなことがあっても公表をしない人の方が多いんだろうと思うと、定期的な音源リリースを行い歌番組出演し映画ドラマや舞台に出演しプロモーションを行いバラエティーやラジオのレギュラーを持ちながらツアーを行うという仕事をし続けることの恐ろしさを改めて感じている。

都度わざわざファンや関係者に心配をさせる必要はないのかもしれないけれど、長期の休みをとることもなく走り続けることが正しいこととも正直思えなくなってしまった。

今はともかく、これまで毎年ツアーがあることが当たり前であったり、年に1枚はアルバムが出ることが当たり前であったり、それを続けてくれるグループが沢山いるけれど、もう、そういうペースでやり続けることはないんじゃないだろうか。壊れる前に壊れないように休めるように、ツアーやリリースのペースは若いうちからもっとひとつひとつの間隔を広げていくべきなんじゃないだろうか。

アイドルである以前に人間として、これ以上磨耗し続けないように活動してほしい。

アイドルだけではなくて、いろんな場所でいろんな形で働いている人たちがみんな、その役割のなかで磨耗しないバランスで生きていけたらいいのにと強く思ってしまう。もう、人を磨耗させる前提の仕組みは終わりにしようよ…

ただでも、表舞台に立つことを選んでくれたこと、その上で今出来る事をひたすらやり続けてくれること、その事にひたすら感謝をして、ありがたく受け取っていくし、自分自身がしっかりと生きていきたい。

*1:2016年の1月の元気が出るライブのオーラスには大倉さんが腸閉塞を起こしている。

*2:20分の休憩含む

*3:https://tournesolt.hatenablog.com/entry/2016/10/27/000000