きらきらしたものを集めたい。

主にジャニーズ、たまにアイドル。/絶賛事務所担進行形 → 主にK-POP、たまにジャニーズ、たまーーにアイドルへ移行→主にLDH、そこそこK-POP、たまにジャニーズ、ちょっと坂道に移行したみたい。。

平成のヲタク遍歴を振り返ってみた。

あんまり改元にピンときてないんですけど、せっかくだからビッグウェーブのっとこう*1と軽い気持ちで書き始めたら大変な長さになってしまった。31年は長い。

 

ちょうど小学校入学時に平成を迎えた世代なので、いい具合に平成にここまでの自分を構成してきたアレコレが収まる。

 

平成元年~平成4年 始めてのアイドル期

平成に入る前から、初めて好きになったアイドルとして光GENJIがある。幼稚園から小学生当時、夜にテレビを見せてもらえなかったけど、Mステだけは毎週見させてもらっていた。オリンピックの際にバルセロナから中継というのが何故か印象に残っている。キラキラしてたんだなぁ、光GENJI。かーくんは本当にスーパーアイドルだったし、今もたまに出て来てバラエティーで意地を見せたりするところ、やっぱりスーパーアイドルだなと思う。

 

平成4年~平成6年 はじめてのアーティスト期

当時の友人の影響もあり、B'zにハマる。「好きなアーティスト」としての最初はB'zという認識がある。「裸足の女神」を買った覚えがある。アルバムで1番聞いてたのは中古で買った「IN THE LIFE」。1990~1995あたりの曲はめちゃめちゃ思い入れがある。

 

平成6年~平成7年 ミスチルからFMヲタク期

中学受験直前にFNS歌謡祭だったと思うんだけど、年末特番に出演*2していたMr.Childrenにいきなりハマる。「Tomorrow never knows」にハマる。年末年始からもうミスチルのことしか考えられなくなり、ミスチルのことを学びまくって入試には落ちまくった。当時のミスチルは本当に見た目こそソフトだったけど、発言は本当にシャカマ全開のオラつき具合がよかった。ミスチルドキュメンタリー映画などもあり2回見に行った。ちなみにナカケーが好きだった。竹下通りでナカケーの写真を買ったりした…。

元々ラジオが夜のお供だったけど、ミスチルが出るということからNHK-FMのミュージックスクウェアを聞き始め、そこから邦楽バンドと沢山出会って一気にいろんな音楽を聞くようになった。軽く邦ロックヲタク期間がある。当時聞いてたTOKYO No.1 SOUL SET、THEATER BROOK(佐藤タイジ氏)あたりが現役なのは感慨深い。小学生の時代はAM派だったけど、完全にFMっ子になる。

音楽以外だとガンダムWにハマる。二次創作的なアレなど。GWにハマっても他のシリーズにまではハマらなかったのでガンダムについては詳しくない。

 

平成7~平成10年 ヴィジュアル系ヲタク開眼期

ヴィジュアル系開眼。友人の影響で黒夢から。初期の黒夢をダビングしたテープを伸びるくらい聞く。別の友人がLUNA SEAにハマりLUNA SEAも聞く。LUNA SEAの色褪せなさは本当にすごい。

そこからPenicillinのデビューくらいまでとか、hvという雑誌に載っていた各地方の関係図(名古屋系とかがアツいやつ)とかを暗記するくらい読み込む。

La'cryma Christiに出会い、そこからしばらくはラクリマを地盤に生きる。中学生当時はライブに行かせてもらえなかったので、昼間のサイン会とかインストアイベントに行くようになる。

平成10年の1998年は本当にヴィジュアル四天王時代だったし、世間的にも「GLAY派かラルク派か」の時代。わたしはその問いには「どっちかといえばLUNA SEA」と答えていた。

もちろん学校にはジャニヲタもいて、当時はJrがアツかったのも記憶にある。

ヴィジュアル系を聞くようになって洋ロックも聞くようになったのもこの頃かな。モトリー・クルーを聞いて「B'zの源流はここだったのか…」などとなる。

 

平成10年~平成13年 ヴィジュアル系ヲタク最盛期

ラクリマを中心にヴィジュアル系を聞き、ファンサイトで友達とチャットし、現場でワイワイしてた。みんなで名刺を作ったり、原宿神宮橋で会ったり。たまぁにライブハウスの対バンに行ったりもした。ファッション的にもKERAが創刊されて原宿系が元気で、ロリータとかもしたりした時代。

また平成12年、モーニング娘。に4期生が入る。タンポポからモーニング娘。にハマり始める。大学受験期はモーニング娘。と友人からすすめられたBUMP OF CHICKENが救いで、毎日「I wish」と「ダイヤモンド」を聞いて過ごしていた。

 

平成13年~平成14年 地下バンドヲタク期

BUMP OF CHICKENからまたロキノン系を聞き始め、In the soupアジカンACIDMANとかを聞くようになる。THE JETZEJHONSONに通い出す。中学時代からの友人の繋がりでバンドのスタッフをやり始める。大学2年くらいがピークで週3以上ライブハウスに行ってた。当時行ってたり関わってたバンドで続いてるバンドはそれこそジェッジくらいだけど、もっとYouTubeとかにライブ映像とかあげてたら運命が変わってたバンドもあるのかなぁとか思う。単純に今も見たい聞きたいと思ったときにオンラインに残ってないので切ない。PUGもinklineも大好きだった。皆さんお元気でしょうか………

 

平成14年~平成17年 ハロプロヲタク最盛期

スタッフしてたバンドが解散して心にぽっかりという時期にちょうど地元の市民ホールにあややが来るぞ!ってことで市民ホール枠でチケットを確保。加護さんを入り口にそこそこずっとハロプロを聞いてたけど生で見る松浦亜弥さんの輝きに本当に感動してそこからしばらくはハロヲタとなる。現場で楽しみ、狼*3を本拠地にしつつ壁紙サイトをやったりしていた。亜弥ちゃんと加護さん、そして初期ベリまで。いわゆるヲタサーのあれこれ的なことと就職によりヲタクらしい生活から一旦離脱する。

ソテジにハマった友人の影響でちょっとだけ韓流をかじる。SE7ENさんにハマり7の字のペンラを振っていた。

 

平成17年~平成20年 ジャニーズ茶の間ヲタク期

ハロヲタとして狼を拠点に生きていた時に、狼に立っていたジャニーズスレからジャニーズへの目覚め。そこに貼られていたHeavenly Psychoのマルチアングルの大倉さんを見て大倉さんを認識する。それまで関ジャニ∞といえば内くんだった。というかNEWSの内くんだった。そんなタイミングで内くんの事件があり、大倉さんがいきなり推されだす。ごくせんで親戚が亀担になりYou&J*4の恩恵を受けて3組のコンサートに行くようになる。ここから茶の間ベースのジャニヲタになる。

 

平成22年~平成25年 プロレスヲタク最盛期

マッチョ*5の影響で新日本プロレスを見始める。平成23年はオカダカズチカがスターダムをすごい勢いで駆け上がっていく年で本当に面白かった。簡単にチケットを取れなくなりだして現場から遠退いてしまった。わたしがTwitterを始めたのは新日本プロレスのためだった。当時も今も推しはずっと100年に1人の逸材、棚橋弘至選手。逸*6はずっとヒーロー。

この時期のもうひとつの趣味は競馬なので、分かりやすく男の趣味ベースに染まるオンナの時代。いや、これはこれで楽しかったし今も競馬は好き。

 

平成23年平成24年 女子ドルヲタク復活期

Twitterを始めたこともあり、オンライン上で友人との繋がりが出来たり、ヴィジュアル系時代からの繋がりやハロヲタとしての繋がりが戻ってきたりという時代。東京女子流が好きなったきっかけは忘れてしまったけど、平成23年~24年はプライベート的には地獄の時期で、その心の癒しが東京女子流だった。いろいろあり自分の楽しみは後回しにしてたけど、もう我慢しないぞ!ってリリイベに行き始めて、ドルヲタとして現場復帰。

 

平成24年平成27年 地下ドル応援団期

ヲタク友達のオススメからいずこねこに出会い、東京女子流の定期公演の日に会場のZepp Divercityのすぐ近く、ガンダムのところでリリイベというタイミングありそこからドボーンといきなりいわゆる地下アイドルのヲタクになる。対バンばっかりで、かつてヴィジュアル系ヲタク期や地下バンドヲタク期に行っていたライブハウスでアイドルを見る世界線へ。近い距離感で、生誕やブートグッズ作ったりという本当に応援団のようなヲタク活動はここでやりきった気持ちでいる。本当にいろんなことがあったけど、いい経験だった。

 

平成25~平成29年 ジャニーズ事務所担期

ずっとジャニーズも見続けてるんだけど、ジャニーズWESTのデビューからジャニーズWESTも応援しはじめて、ガムシャラ!からJrを見始めて少クラも見始めた。ありがたいことにいろんな方面から誘いをもらってJr以外もA.B.C-Zもキスマイも見にいけた。Jrの面白さと共に、チケットの倍率の過酷さ、デビューが見えない残酷さみたいのも感じられて学びが多かった。そしていろんなジャニーズの現場へ行くことで関ジャニ∞の当時のアレコレ*7にフラストレーションを溜めていった。

 

平成27年~現在 ゆるく真面目な地表ヲタク期

応援団ではないスタンスで、今もヲタクを続けてるのが東京パフォーマンスドール。半地下、というのもちょっとツラいので地表とさせてくれ。平成29年中盤からしばらく記憶に残ってない時期はあるけど、6人になってしまってからまたとてもいい。個人の仕事も増えてきて、個人的にはRoad to 2020*8が叶えば満足なので、東京オリンピックまで走りきってほしい。そしてきれいに解散してくれたらいいなぁという希望がつよい。

 

平成29年~現在 K-POPヲタク開眼期

周囲の友人の熱量に用意されたエスカレーターによりあれよあれよとSEVENTEENにハマり、気がついたら生活の中心がK-POPになる。少なくとも生活の中の音楽はストリーミングでK-POPばかり聞くようになるという大きな変化。正直もうCDを取り込む生活には戻れない。どちらかといえば苦手意識があるに近かったけど、触れてみたら新しい価値観を得て、パスポートを得て言葉通りに世界が広がった感覚がある。Jrと逆のポンポンデビューする世界のそれはそれの残酷さを感じつつ、世界市場をベースにした活動を眺めることは面白い。

 

平成29年~現在 再・茶の間ジャニヲタ期

小瀧さんが成人を迎え、長らく続けてきた大倉担から小瀧担になるという大きな変化を迎える。なんか、真っ当に真剣にアイドルとして努力し続けてる小瀧さんを穏やかな気持ちで見守りたくなったので。と同時に、過剰な思い入れをなくすことで関ジャニ∞もまた楽しめるようになった。台湾公演も平成のいい思い出になった。

 

平成30年~現在 茶の間坂道ヲタク期

乃木どこ時代から、あのテレビ東京坂道枠が好きで、今も乃木中・けやかけ・ひなあいを週3回くらいずつは見ている。だいたい全部展から乃木坂を改めて好きだな!ってなったのもあるし、日向ちゃんがとにかくハッピーで楽しくてかわいいのでおひさま*9になった。これからも健康的にハッピーなグループでいてくれたらいいなと思う。

 

令和に向けて

別段新しい元号になったからとて心持ちが変わるわけでもないけれど、これからも永遠にどんなジャンルでもにわかテンションで足を踏み入れたり引いてみたりしていきたい。

自分の場合はどんなジャンルであれ人間ありきの楽しみ方なので、表現をする人、ステージに立つ人がいる限りきっとそれを見て楽しんでるだろうと思う。

あと最近中高時代に共にヴィジュアル系に生きていた友人とSEVENTEENを見ていたり、スタッフをしていたバンドのメンバーがアイドルのプロデューサーになっていたり、年月を経ていろんなところで思いもよらぬ交わり方をしたりしているので面白い。これからもきっとそういうことが発生すると思う。楽しみだ。

*1:もうこういう表現しないですか?

*2:もちろん会場でではなくレコーディングスタジオから

*3:にちゃんねる

*4:NEWS、関ジャニ∞KAT-TUNの合同FC

*5:夫の通称。当時はまだマッチョではなかったし入籍前

*6:棚橋選手の通称

*7:元気が出るはずが腸閉塞になるライブ

*8:MXチャンネルでレギュラーバラエティーだった東京号泣教室のキャッチコピー

*9:日向坂のファンの名称