きらきらしたものを集めたい。

主にジャニーズ、たまにアイドル。/絶賛事務所担進行形 → 主にK-POP、たまにジャニーズ、たまーーにアイドルへ移行→主にLDH、そこそこK-POP、たまにジャニーズ、ちょっと坂道に移行したみたい。。

味園ユニバースという映画が切り取る大阪の匂い。

f:id:pinkslip:20150225021852j:plain
公開初日に味園ユニバースを見ました。

以下、ネタバレ含むものです。

とても大阪な映画だった。
いずこねこ的にご縁があるから味園ビルも周辺の場所も空気感はわかる。
きっとあの周辺に触れたことのある人が見たらすごくあの辺の匂いが感じられる映画だと思う。
視覚から嗅覚に届く映像。
生活の場も彼らの服も、少し汚くて薄暗くて、すごく匂いがするものだった。
スタジオもライブハウスもバーもユニバースも、決して空気の良い場所じゃない。
でも、そういうところにしかない心地よさもある。
そういうところにしか生きられない人もいる。
そういう人たちの世界がすごくそのまま切り取られていたように受け止められた。

日経新聞のレビュー的なものでは、役者の存在感がよい分、音楽の部分よりストーリーをもっと注力した方がよかった的な評が書かれていたらしい。
きっと、人生において音楽に対して特別な感情のない人が見るとそうだと思う。
ただ、アホみたいに音楽をする事、音楽の場を作ることに人生を使っている人たちに触れたことがある人にとっては、あの赤犬と彼女の生き方はすごくよくあるものだと思う。
起承転結でいえば、結が弱いと感じるかもしれない。でもあれがいい。
その先を軽々しく穏やかにする必要もないし、絶望だけでもない。
ライブというのは彼らにとって何よりも大きなものだから、味園ユニバースでのワンマンライブでの最後の表情、それがピークでいい。
彼らにとってはそれ以外はどうでもいいものだから。
「しょうもな。」ということは理解していて、でも、しょうもないその音楽しか熱を得られるものがない。
理解できない人には理解できないことだし、理解してもそれを美化することもしょうもないからしない。
しょうもないなりに、己の美学のために生きてるみたいな人たち。
大森茂夫は、そういう美学すら持たず、というよりは持てず、クズ中のクズの道を生きていた。はず。
ずっと切れないクソみたいな悪い縁の中で、ただ利用されていることを理解しながら、希望も美学もないしょうもないクズ。
茂夫の顔になったあとの目は、ずっと暗い怒りと諦めに支配された目で、空っぽながらガラクタを集め目をキラキラとさせていたポチ男とは本当に違う。
しょうもない純粋さに対してのどうしようもない苛立ちは自分が持つことが出来なかったものへの憧れ。
それが最後のあのココロオドレバで素直に動き素直に歌い素直に笑ったこと、それがピーク。
それでいい。

セリフは少なく、茂夫でもポチ男でも限りなく少なかった。
ただ本当に渋谷すばるの顔も体も饒舌だ。
目で、表情で、指先で、肩で、足で、姿勢で、言葉にならないものをすごく語る。
大阪の人はよくしゃべる。それは声だけのことじゃない。体がしゃべる。
渋谷さんだけでなく、赤犬の面々も。
溢れる感情がセリフや音楽以上に表情と動きに出ていた。

エンドロールに流れる記憶をどう聞くかは人によってわかれるだろうなぁと思う。
渋谷すばるの歌として聞くか、ポチ男としての歌として聞くか、大森茂夫としての歌として聞くか。

渋谷すばるの輝いている姿はライブで幾度となく見てきたけど、役を通してもなお、人間として本当に美しい。繊細で繊細で壊れそうなのに、とても強い。

また、もう1回はスクリーンで見たいなと思います。