きらきらしたものを集めたい。

主にジャニーズ、たまにアイドル。/絶賛事務所担進行形 → 主にK-POP、たまにジャニーズ、たまーーにアイドルへ移行→主にLDH、そこそこK-POP、たまにジャニーズ、ちょっと坂道に移行したみたい。。

錦戸亮さんの門出に。

10月1日になり、テレビでは増税の現場をワイワイと放送している頃、それまでジャニーズ事務所関ジャニ∞錦戸亮だった錦戸亮さんがNOMAD所属の錦戸亮として世界に向けて発信を始めた。

「あぁ錦戸さんはアレコレを待つの嫌いな人だったな」と思い出して笑ってしまった。

やれる準備は事前にいくらでもやる。分からないことは調べることも人に聞くこともいくらでもやる。やると決めたらめちゃめちゃやる。自分のかっこいいと思うものを納得行くまで作る。

錦戸さんが関ジャムという番組で1番音楽的な技術や理論を素直に吸収して成長したんじゃないかなと思っている。関ジャム以前と関ジャム後の錦戸さんのつくる楽曲は全然レベルが変わったという印象があるから。

本来、外の世界への意思は、赤西仁という人を近くで見ながらずっと持ってたものかもしれない。憧れ、なのか、いつかは、なのかは分からないけど。

ただ、結果的に動くまで背中を強く押したのは渋谷すばるだろうと思う。

いい感情でその結論に向かったのかは分からないけど。

 

面白いほど、何もないまま9月は終わった。

関ジャムもクロニクルもジャニ勉も何も用意されなかった。

たぶん、何もしないでくれという本人の強い意思だろうと思う。

思い出話で泣いてしまうとか、若い頃の映像を見て笑うとか、もう何度もしてきたことだし、なんなら去年も沢山した。十五祭をやりきり、ジャニーさんにお別れをして終わる、それはそれで十分清々しい終わり方だった。

 

「俺は10月に入ったらすぐに動く。すぐにツアーもやる。」と宣言していたんじゃないかなと思う。

だからこそ関ジャニ∞も止まれなかったんだろうな。それは意地でもあり、それぞれの門出としての送り出しかもしれない。

 

ジャニーズ事務所としての錦戸亮さん、NEWSを含めると実は1番現場で見た人なのかもしれない。

ツンツンに尖った時期を越えて、いい丸さのシンプルでフラットな男になった30代になってからの錦戸さんがすごく好きでした。

これからの生き方楽しみにしています。

 

SEVENTEENが毒を歌う

とりあえず日本語字幕ついているので、字幕オンでMV再生してください。

 

かつてジョンハンさんに対して、「ジョンハンさんが髪の長い頃の自分が彼にとって少し呪いになっていそうなのは、彼がファンに寄り添いすぎるからかもしれない。」と書いたことがある。

度々自分でも読み返すしたまに言及されることがある「アイドルの不変と可変について」というエントリを、また読み返してしまう。

私が理想と現実のギャップを呪いとを書いたように、SEVENTEENは求められる過去の自分達の姿と現実のギャップを毒と表現した、と理解した。

SEVENTEENはあまりに優しい。過去の自分達に囚われてしまっている人たちをバッサリと切り落とすことはしない。だから結果的に自分達のなかに溜まったギャップが毒となってしまった。あくまで、君を傷つける毒をもつ僕、であり君を思う気持ちが毒となり僕を傷つける、と捉えるのがSEVENTEENだなぁと思う。

そして「君は僕の記憶を忘れるべき」と歌うことになる。

君はファンに対してであり、自らに対してでもあるよね。

ただ、この曲をタイトル曲に持ってこれるほどに、その毒のもつ魅力に自信もある。毒となっても、傷ついたとしても、そのかっこよさから離れられないだろう?ということだろう。

それくらいの気合いと気負いを感じるMVだった。本当にカムバ直後に見たときは体調悪くて頭痛を増してしまったので疲れ目の時にはオススメできない。ただまぁ本当に美しい。

 

まだ音楽番組のパフォーマンスを見ていないけれど、メインの衣装がこれまでにないほどフォーマルなスーツであることが面白いなと思う。以前HOMEのときに、男ではなくて人としての成長を見せるのがタイトル曲の世界線なんじゃないかと書いた。

今回も表はやっぱりHITのような露出×色気の衣装ではなくて、フォーマルである。まるで「はなむけ」のようだなと思った。しかしMVのなかのもうひとつの衣装は露出×色気である。そこにあるのは男を強調したSEVENTEENの姿。

もし、fearをかつての自分達へのはなむけとするならば、Happy Endingが最後に入ってることがなんかグッときてしまうけれども、多分それは考えすぎだと思う。

 

わたしは清涼ドルに囚われてる方でもないので、好きにやっていってもらえたら楽しむだけなんだけど、改めて自作自演の大変さを感じてはいる。

秋元康氏のようにプロデューサーとしてファンからの不満を一手に引き受ける存在があるというのはわりとよくできたシステムだと思う。思うものと違う展開に対して「メンバーは悪くないけど」と不平不満を言うことで消化しやすい。標的になるプロデューサーがいない場合は事務所に向かう。PLEDISもやり玉にあがることはあるけれど、SEVENTEENの音楽とパフォーマンスについては彼らの意思であると信じられるものがあるからやきもきとした気持ちをぶつける先はメンバーになってしまう。

 

正直勿体ないな~とも思う。個人的にはLuckyもめちゃめちゃいい曲だし、Let me hear you sayもすごく好きだ。気持ちよく作られたんじゃないかなぁと思う名曲たちも、振り幅としてfearくらい振りきらないと今のアルバムのタイトル曲にはもっていけないという気持ちなんだと思う。Snap Shootも好きだけどパフォーマンスは振りを詰め込み過ぎな印象で自分には案外しっくり来なかった…

 

ぼんやり、ソウルコンでのSEVENTEEN MUSEUMこと多幸感メドレーパートが、このカムバを経て闇落ちパートに変化したら面白いなとか思っている。それくらいやる方が清々しくて毒々しいと思うんだわ。

ドラマ「あなたの番です」の感想文

久しぶりにわりとハマって楽しく見たドラマなので散漫な感想文など。

まず2クールであることがよかった。まだ死ぬの!?まだ死ぬの!?からの反撃編の展開。適度に笑いドコロを入れ込みながらも死体発見現場のクオリティーは高く保たれていたし、わたしはわりと黒島ちゃんを信じてた側の人間なので楽しかったです……(ちょろいヲタク

 

最終回のまとめ方、結局のところ「人の愛と狂気は紙一重」ということ、というか「愛はそれすなわち狂気」の方がいいのかな。そしてそれぞれの愛に基づくそれぞれの正義感からくる行動。

エンディングの描き方としてはそれぞれの愛の矛先は全く違うから他の人にとっては狂気に見える、ということになるんだろう。

エレベーターを愛する人、人のモノを愛する人、ワニを愛する人、ゴミから見える人生を愛する人、己を愛する人、ダメな男を愛する人、愛した人の愛した人も愛する人、愛してる人と同じ属性になりたい人、殺害欲求をもつ息子を愛する人………

わかる気もするし、わからない気もするし。

少なくとも黒嶋ちゃんの「殺人への愛」というのは、括り方描き方がぼんやりになりすぎていて肝であるのにぼんやりする。

死体発見シーンのクオリティーに対して殺害実行シーンが大味すぎるのもぼんやりする部分ではあるけども。

殺すことに興奮するというのはフェティティシズムの一種として扱われると思うけど、「翔太さんが菜奈さんを愛してるように、わたしも人殺しを愛してるの」というのは違和感が強かった。人を殺す作業に興奮するのか、死体を見るのに興奮するのかとか、そこは細かいアレがあるよね。

社会的に許されない欲をもって生まれてしまった人間は、社会的に許されないから好きなものを好きと言えないし、自分の好きに正直になることを許されない。一生我慢して生きていかなくてはいけないということは、好きな人やモノに一直線な人たちとの対比として描き方次第では考えさせられるものになるはずなんだけど、そういう描き方じゃないんだなぁっていう感想が強い。

結局のところ警察側に犯罪心理を語らせるシーンがあるわけでも、二階堂くんがそれを語るわけでもなく、衝動的なやりとりだけでエンディングに向かってしまったので、ドラマ的に描きたかった部分が不明瞭だなと感じてしまう。

 

エンディングに日常の風景を入れながらおばあちゃんと黒島ちゃんの関係が出てきたり、最後にまた「あなたの番です」と続きを匂わせることは悪くない。

ただ、個人的には真犯人がわかった後も、二階堂くんと翔太さんが鍋をつついているシーンに違和感が強かった。目的は達成されてるにも関わらず本来のそれぞれの日常に戻らなかったことで、ふたりの間に愛に近い感情を想起してしまう。おっさんずラブに乗っかった演出というか、結局田中圭氏に男性と仲良くさせることに意義があるだけ、ってことか…って感じてしまった。

尾野ちゃんを疑ったりしていた頃に出た「翔太さんと尾野さんは似ています!」という二階堂くんの台詞がよかったし、実際そう描かれていたし、そうなるのであれば事件解決後はひたすら菜奈ちゃんの写真と暮らす方がよかった。二階堂くんは愛を知ったことで判断に迷いが生まれたことをAIの研究のなかに反映させる方がよかった。

そうさせたら続かないでしょ、は分かってるんだけど。

 

西野さんの演技についての酷評が多かったけど、私はあの演技に疑問を感じなかった。西野七瀬という人の表現としてはあの形だよなぁって思っちゃったんだけど、それは西野七瀬という人に対してのある程度の認識があるからかもしれない。

楽しいときもふわっとした笑顔であること、不愉快な時は目線が強いこと、西野七瀬さんだなぁと思って見てたけど、西野七瀬さんらしさはない方がいいのかな。いわゆるサイコパスなトーンにならず日常のままであることが黒島ちゃんの日常のなかにある殺害欲求のトーンの表現、と捉えるのはヲタクだけなのかな。

 

ハマってたとはいえ、Huluまでは見てないので拾えてないエピソードも沢山あるけど、2クールかなり面白かったという感想文でした。